社内共有資料|ニュース解説

世界の「1秒」が63年ぶりに変わる
日本発「光格子時計」が時間の物差しになる日

2026年5月、島津製作所と理化学研究所が「秒」の番人・国際度量衡局と覚書を締結。100億年に1秒しか狂わない日本発の時計が、2030年の「1秒の再定義」の有力候補に躍り出ました。何がすごいのか、何が変わるのかをわかりやすく整理します。
01

まず3行まとめ

02

何が起きた?——「秒」の番人と日本勢が握手

2026年5月12日、川崎市で3者が覚書に調印しました。目的は、持ち運びできる「可搬型光周波数標準」(=光格子時計をベースにした基準器)が、世界の時間合わせにどんな役割を果たせるかを共同で検討すること。各国の時計を相対誤差10のマイナス18乗というレベルで比較し、協定世界時(UTC)へ貢献させる構想で、「秒の再定義に向けたロードマップの重要な一歩」と位置づけられています。産業技術総合研究所の計量標準総合センター(NMIJ)も参与予定です。

国際機関——「秒」の番人

国際度量衡局(BIPM)

メートルやキログラムなど世界共通の単位を管理する国際機関(本部パリ)。協定世界時(UTC)の計算も担う。アネット・クー局長。

研究——発明の本家

理化学研究所

光格子時計の発明者・香取秀俊氏(東京大学教授)がチームディレクターを務め、世界最高水準の研究を推進。五神真理事長。

産業——製品化の担い手

島津製作所

2025年に光格子時計を世界に先駆けて製品化した計測機器メーカー(本社京都)。山本靖則社長。可搬型標準器の実証を担う。

03

数字で見る「1秒の再定義」

63年ぶり
「1秒」の定義改定
現在の定義は1967年に決まったセシウム原子時計ベース。2030年の改定が実現すれば63年ぶりの大転換
100億年に1秒
光格子時計の誤差(製品版)
宇宙の年齢(約138億年)を計り続けても1秒程度しか狂わない。研究レベルでは18桁精度=300億年に1秒も達成
429兆回/秒
数える振動の速さ
セシウム時計が数えるマイクロ波(約92億回/秒)に対し、光格子時計は光の振動を数える。目盛りが桁違いに細かい
1,000
セシウム原子時計比の精度
現行の「1秒」を定めるセシウム原子時計の約1,000倍の精度。だから「物差しの方を作り直そう」という話になった
250リットル
製品版の容積
スカイツリー実験時の装置(920リットル)から約4分の1に小型化。「持ち運べる究極の時計」が現実になった
5億円
製品版の希望価格
島津製作所「Aether clock OC 020」の希望価格(日本経済新聞より)。研究機関や標準機関への導入を想定
04

そもそも「1秒」は誰がどう決めてきたのか

「1秒」は自然にあるものではなく、人間が決めてきた「約束」です。その物差しは、より狂わないものへと乗り換えられてきました。

〜1967年天文の時代
地球の自転や公転をもとに1秒を定義
1日の8万6400分の1が1秒。しかし地球の回転は一定でなく、ムラがあることが判明
1967年原子の時代
セシウム原子時計による定義へ切り替え
セシウム133原子が吸収するマイクロ波の振動「91億9263万1770回分」を1秒と定義。以来59年間これが世界の1秒
2030年光の時代へ
光格子時計など「光の時計」による再定義(予定)
マイクロ波の約4万7000倍速い「光」の振動を数える。約6種類の方式が候補に挙がり、2026年秋の国際度量衡総会で最終候補を絞り込み

※ 再定義後もセシウム時計は廃止されず、「二次標準」として世界標準時の管理を支え続ける見通しです。

05

セシウム原子時計 vs 光格子時計——何が違う?

現行の「1秒」(1967年〜)

セシウム原子時計

  • 数えるもの:マイクロ波(約92億回/秒)
  • 精度:数千万年に1秒程度の誤差
  • 原子の集団を噴水のように打ち上げて測る「原子泉方式」が主流
  • GPS・標準電波など現代インフラの土台
次の「1秒」の有力候補

光格子時計

  • 数えるもの:(約429兆回/秒)
  • 精度:100億年に1秒程度(製品版)〜18桁
  • 約100万個の原子を格子に閉じ込め一斉測定——ばらつきが平均化され一気に高精度に
  • 2001年に香取秀俊氏が考案した日本発技術
「目盛りの細かさ」のイメージ(模式図)
セシウム原子時計マイクロ波 約92億回/秒
光格子時計光 約429兆回/秒

1秒を刻む目盛りが約4万7000倍細かくなるイメージ(図はあくまで模式)。定規の目盛りが細かいほど正確に測れるのと同じで、速く振動する「光」を数えるほど1秒を精密に切り出せます。

06

光格子時計の仕組み——「卵のパック」に原子を並べる

光格子時計が1秒を刻むまで(5ステップ)
ストロンチウム
原子をレーザーで
極低温に冷却
「魔法波長」の
レーザーを対向させ
光の格子を作る
卵のパック状の
格子に原子を
1個ずつ収納
約100万個の原子が
吸収する光の振動を
一斉に測定
約429兆回の振動を
数えて「1秒」を
高精度に刻む

ポイントは2つ。①原子を「魔法波長」という特別な波長のレーザーで作った微小な格子(光格子)に閉じ込めることで、原子を捕まえたまま、測定への悪影響だけを打ち消せること。②原子(イオン)を1個だけ捕まえて測る方式と違い、約100万個を同時に測って平均することで、統計的なばらつきが一気に小さくなること。この2つの合わせ技で、セシウム時計の約1,000倍という精度を実現しました。

07

ここまで正確だと何が見える?——「時間のずれ」体感シミュレーター

アインシュタインの一般相対性理論によると、重力が強い場所(低い場所)ほど時間はゆっくり進みます。日常ではまったく感じられないこの効果が、光格子時計の精度なら「見える」ようになります。実際に2020年には、東京スカイツリーの地上階と展望台(高低差約450m)に光格子時計を置き、時間の進み方の違いを実測してこの理論を検証しました。

高い場所の時計は、1日にどれだけ「進む」?
スライダーで高低差を変えてみてください(一般相対性理論の式 gΔh/c² による概算)
0m1,000m2,000m3,000m3,776m
高低差
450 m
高い方の時計が1日に進む時間
約 4.2 ナノ秒

スカイツリーの展望台では、地上より1日あたり約4ナノ秒だけ時間が速く進みます。この差を光格子時計は実測できました。

※ 1ナノ秒=10億分の1秒。g=9.8m/s²・光速c=約30万km/sで計算した理論値の概算です。

08

「時間を測る」から「時間で測る」へ——応用の広がり

標高を「時計」で測る

時間の進み方の差から標高差を逆算する「相対論測地」。光格子時計なら1cm単位の高さの変化を捉えられ、水準測量に代わる新しい測り方になる。

※ スカイツリー実験はこの実証でもあった

地震・火山の監視

地殻やプレートのわずかな上下動=地下のマグマや歪みの変化を、時計の進み方の変化として常時監視。噴火や地殻変動の早期検知への応用が期待される。

※ 地殻プレートの動きを1cm単位で計測

GPSを超える測位

衛星測位は「時計の精度」がそのまま位置の精度になる世界。超高精度の時計は、自動運転やインフラ管理を支える次世代測位の土台になる。

※ 現在のGPS以上の高精度測位システムを想定

社会インフラの時刻同期

通信ネットワーク・金融取引・電力網は精密な時刻同期の上に成り立つ。協定世界時(UTC)への貢献を含め、社会の「時間の土台」そのものを強くする

※ 今回の覚書はまさにこのUTC貢献の検討
09

「ノーベル賞級の発明」を製品にした島津製作所

製品

Aether clock OC 020

  • 2025年3月に発売された商用の光格子時計。誤差は100億年に1秒程度で、商用機として世界最高精度
  • 希望価格は5億円(日本経済新聞より)。各国の標準機関や研究機関への導入を想定
  • 自動復帰機能により無人での連続稼働が可能。研究室の職人技だった装置を「使える機械」にした
小型化の道のり

920リットル → 250リットル(約4分の1)

  • 島津は2018年から香取氏らとの小型化プロジェクトに参画。スカイツリー実験で使われた920リットルの装置を250リットルまで圧縮
  • 100枚以上あった基板を5分の1に集積し、振動など外部環境の影響も最小化
  • この「可搬性」こそが今回の覚書の主役。持ち運べる基準器が各国の時計を直接比較する未来を拓く

単位の再定義では、「その精度を世界中で再現・比較できること」が絶対条件になります。理論と実験で世界をリードする理研・香取氏、それを製品として量産・運搬可能にした島津、そして単位の番人BIPM——今回の3者連携は、「日本の時計を世界の1秒にする」ための布陣と言えます。

10

再定義までのロードマップ

2001年発明
香取秀俊氏が光格子時計の理論を提案。以後、世界の研究機関が追随する標準方式に
2014年達成
18桁精度(300億年に1秒レベル)の光格子時計を実現
2018年参画
島津製作所が小型化プロジェクトに参画
2020年実証
東京スカイツリーの高低差450mで「重力による時間のずれ」を実測し、一般相対性理論を検証
2025年3月製品化
島津が商用機「Aether clock OC 020」を発売(誤差100億年に1秒・容積250リットル)
2026年5月12日今回
BIPM×理研×島津が覚書調印(川崎市)。可搬型光周波数標準の国際的役割を共同検討へ。NMIJも参与予定
2026年秋予定
国際度量衡総会で新しい「秒」の最終候補を絞り込み。約6種類の方式が議論の俎上に
2030年予定
「1秒」の新定義が決定——1967年以来63年ぶりの改定へ
11

よくある疑問

1秒の定義が変わったら、私たちの時計や生活はどうなる?
日常生活は何も変わりません。腕時計もスマホもそのまま使えます。変わるのは「1秒の決め方の裏付け」で、新しい定義は現在の1秒と長さが揃うように設計されます。「1メートル」の定義が金属製のメートル原器から光の速さ基準に置き換わったときも、手元の定規を買い替える必要はなかったのと同じです。
今のセシウム時計で困っていないのに、なぜ作り直すの?
測定器の腕前が物差しを超えてしまったからです。光格子時計はセシウム時計の約1,000倍正確なのに、公式な「1秒」がセシウム基準である限り、その精度を公式には活かしきれません。物差しの方を細かくすれば、測位・通信・地球観測など時間に依存するあらゆる技術の精度の天井が上がります。
日本の時計が「世界の1秒」に選ばれると、何がうれしい?
単位の定義を握ることは、その分野の技術標準・関連機器・校正ビジネスで主導権を握ることにつながります。光格子時計は日本発の方式で、製品化でも島津が先行。基礎研究(理研・東大)から製品(島津)、国際標準化(BIPM連携)まで一気通貫で日本勢が主導する、科学の分野では近年まれな好機です。
2030年に本当に光格子時計が選ばれるの?
まだ確定ではありません。約6種類の方式(各国の光時計)が候補に挙がっており、2026年秋の国際度量衡総会での絞り込みを経て決まります。ただ、光格子時計は世界の多くの研究機関が採用する主流方式になっており、今回のBIPMとの直接連携はその流れをさらに後押しする動きです。
12

用語ミニ辞典

光格子時計「魔法波長」のレーザーで作った微小な格子に原子を閉じ込め、原子が吸収する光の振動数から1秒を刻む時計。2001年に香取秀俊氏が考案した日本発の方式。
魔法波長原子を格子に捕まえるレーザーが、肝心の測定(原子のエネルギー準位)に影響を与えない特別な波長。この発見が「捕まえたまま正確に測る」を可能にした。
セシウム原子時計セシウム133原子が吸収するマイクロ波の振動91億9263万1770回分を「1秒」とする現行の基準(1967年〜)。GPSや標準電波の土台。
国際度量衡局(BIPM)世界共通の単位系(SI)を管理するパリの国際機関。各国の原子時計のデータを束ねて協定世界時(UTC)を計算する「時間の元締め」。
協定世界時(UTC)世界の時刻の基準。各国の標準時はUTCとの時差で定義される(日本はUTC+9時間)。多数の原子時計の加重平均で作られる。
可搬型光周波数標準持ち運びできる光格子時計ベースの基準器。各国に置かれた時計同士を直接比較できるようになり、再定義に必要な「世界中での検証」を支える。
相対論測地「重力が強い(低い)場所ほど時間が遅く進む」という一般相対性理論の効果を逆手に取り、時計の進み方の差から標高差を測る新しい測量法。
18桁精度時計の誤差が10のマイナス18乗レベルという意味。300億年に1秒の誤差に相当し、宇宙年齢(約138億年)を測ってもほぼ狂わない。